お礼

2005年11月12日コメント (5)
ぽこさん、有難うございます。
重いです。

ご注意ください。



・・・・わがままな質問・・・・

誰にも理解されなくて、その内、誰の理解も求めなくなって、深層に生じてくる、沸々と沸き上がって来る疑問は、全て自分だけで解消させた。どうせ誰にも理解されないだろう。誰も信じなくなったし、自分なんて当たり前のように信じてなかった。

信じていない世界から生み出されるルール。
自分だけの価値観。誰にも崩すことは出来ない。これこそ答え。
偽物。偽者。

・・・・・・・・・・

一人で居る事が好きだった。
一人で居る事しか出来なかった。
何かに世界を壊されるのが、恐ろしかった。
地獄であった様な気もするけど、やっぱり天国だった気もする。でもやっぱり地獄だったかもしれない。
まぁ、どちらでもよかったんだろうけど。結局は。

自分だけのルールを見つけ、自分だけで勝手に満足して、嫌悪して、しかしそれは、自分で自分に枷を嵌めているだけだった。

宇宙に地球のルールが通用するとでも思っていたのか?
宇宙で息が出来るのか?できないだろ?

地球のルールでさえ、全ての生命の寄る辺である地球のルールでさえ、極大の宇宙に比べれば所詮極小のルールに過ぎない。
そんなことは、当たり前だった。明白だった。単純だった。
自分のルールは、果たしてどれほどまでに極小なのだろうか?
考えただけで気持ちが良い。

『世界』のルールを『宇宙』に適応することは許されない。

広大な世界に憧れる。広大すぎて自分の世界など吸収され、同化してしまうような世界を見てみたい。自分の世界を、壊すことなく全て許してくれる世界を。
自分が生きている理由など、ちっぽけで、何でもない、何の意味も無いことを、自覚したかった。
知った気になりたかった。
なっていた。

全てが崩壊してしまう前に、自らの意思で壊す。
自分を壊すのは、だからこそ、自分自身がちょうど良い。
自分の壊し方は、自分が一番良く知っている。
跡形なく壊してしまえば良い。どうせ『信じない自分』だ。
そこに何が残るだろうか?どうせなら『信念』くらいは残って欲しいもの。
そして、また再構築。再構成。
自分の組み立て方は、自分が一番良く分かっている。
出来ることならば、以前とは違う形になって欲しい。

『生きている』内には完成していて欲しい。

・・・・・・・・・・・・

『生きている』理由。
それは『生きている理由を見つける為』だと思う。

結局、いつまで経っても、それこそ、生きている限りはそんな理由なんか見つからないだろうことは、やっぱり感じている。
『信じる力』さえあれば、自分でもそれを見つけることができるんだろうかな。
でもやっぱり『信じる力』が無ければ、例え見つけたとしても、『見つけた』と感じることはできないんだろうな。

それでも、まだ分かりません。
聞かせて下さい。聞きたいです。

恥を承知で、質問します。

『生きている理由がなかなか上手く見つからない』のは、何故なんでしょうか?

・・・・・・・・・・・・
今日は学校が昼からだったから、やや遅め(10時)に起き、準備を済ませ家を出た。
車に乗りエンジンをかけると、ガソリンは一メモリ弱しか残っていない。

どうだろうか。これで学校、家を往復できるだろうかな。

とちょっとだけ大袈裟に考えて、どうにもこうにもどうしても、試したくなる心境。
幸いにして(?)サイフの中身は、小銭が20枚ほど。しかも、10円1円ばかり。これは前提条件として最高に相応しい。
念のため、と言うか、最初から金を引き出す予定だったから通帳は持参していた。いざとなっても金の心配は多分無い。

そういうことで・・車を発進させる。いざ鎌倉。

往の道。
上り坂が多いおかげで、大概毎日、ガソリンを一メモリの1/3は持って行かれる。
上り坂では、エンジンを2000回転以上にふかすと、どうも燃費が極端に悪くなる。混んでいない時よりも、混んでいる時の方が実は燃費が良かったりする。
そして残念なことに、今日は混んでいなかった。

途中何度かガソリンメーターに目をやり、何とか学校までは持つだろう、と確認。『給油』のランプが点灯し始めた頃には、学校に到着できた。

復の道。
駐車場の車まで戻りエンジンをかける。『給油』ランプは消滅し、ガソリンメーターは心無しか、2mm程回復していた。
これは果てしなく微妙な位置だった。ぎりぎり。到達できるかと問われると、恐らく沈黙してしまうだろう。

てゆうか、もうこれは駄目じゃないか?

そう思いつつも、車を発進させる。往の道とは違う道、なるべく上り坂に遭遇しない道を選びながら、速度を抑えて走った。

何か、大袈裟だがインチキなギャンブルをしているようだ。
得るものはちっぽけな自己満足。反面、もしもガソリンが途中で尽きるようなことがあれば、それは限りなく恥ずかしい。情け無い。両側単線の道路だから尚更だ。

と、しかしここでもまだ、諦めるわけにはいかない。
光明が全く見えない訳でもない。
何故ならば、往の道に上り坂が多いのだから必然的に、復の道は殆ど下り坂である。
下り坂であれば、エンジンを余分にふかす必要性などは存在しない。むしろ、アクセルから足を離し、エンジンを休ませることも十分可能だ。

まだまだ、行ける。
絶対に、行ける。

こういう意味の無いギャンブルこそ、

気分爽快だ!

・・・・・・・・・・・・・




いややっぱり駄目でした。。

早々と、ガソリン注ぎました。

終。
・・・・どうしようもない話・・・・

勝敗とか強弱とか、優劣とか、本当にどうでもいいんですけどね。

ただし。負けてはいけません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

運命航路

2005年11月6日 日常
・・・・正直な話〜本当は書く必要などない〜・・・・

基本的に、人殺しは絶対にしてはならない事だ、と言われることが多いし、絶対的に、その通りだと言う事は間違いのだろう。

しかし彼女は、そもそも、人を殺そうとか、人を傷つけようとか、そういうことを考えて、それを意識して、結果を思考した上で、あのような”実験”を行っていたのだろうか?

恐らく、彼女は『命』とか『生命』とか『死』とか『痛み』だとか、そういう、所謂”人間的”だと定義される倫理観を、全く所持していなかった。
所持していない、と言うよりも、残念なことに結果論になってしまうが、『所持させてもらえなかった』。
『死』が何の結果なのか、その結果が何をもたらすのか、彼女には、理解する理由が無かった。
それが『善か悪か』を判断する”基”を持ち合わせていないのだから。

自分は、彼女とは絶対に”別物”だと実感できる。と同時に、しかし彼女とは絶対に”同じもの”では無い、とは断言できない。
根本的に人間は、別であり同じ部分も持っている。
いやむしろ、「同じであり異なる部分を持っている」

だれでも、潜在的な殺人者であったし、誰でも現実の上で殺人者に成り得る。
そして、同じであるが故に、その『足りない心』は結局誰にも理解できない。理解されることを望んでいたとも思わない。

それが今回、たまたま彼女だっただけであって、何故自分でなかったのか、何故他の誰かでなかったのか、何故彼女である必要があったのか。
全ては、また、残念なことに、最初から決まってしまっていたんだと思う。

人間の進むべき道の、分岐点。そんなものなど最初から無いのかもしれない。

『運命は自分で切り開くものだ』

この言葉を自分に言わせればそれは、
「最初から決まった運命の道すら探すことのできない人間には、はなから生きる価値など無い」
ありふれない、答えになる。

彼女を肯定する訳では絶対無い。でもやっぱり肯定しているようにしか見えないけど、それでも書くと、彼女は『運命』を必至で受け入れようと、世間一般から過剰なまでに的を外れた『努力』を、絶えず続けてしまったのだと思う。それこそ、運命の道にすっぽりとはまり込んで。

彼女が不幸であるとは言えない。自分が幸福であるとも、言えない。他の誰かは、どちらでもないのかもしれない。

しかし。

自分は、恵まれすぎているのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・

劇物実験?7月から異常あった…静岡母親毒殺未遂事件
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200511/sha2005110502.html
(サンケイスポーツ 11/4)

罪とか罰とか、そういう感情的かつ法律的な話は完璧に無視して、機械的に、多分本心を書きました。

でも勿論自分がこれを断言できるような人間である自信などなくて、やっぱりこれも間違いの中の一つなんでしょう。

最後に一言だけ付け加えておくと、自分はまだ、『人殺し』、という行為に対して、どうしてもそれを『絶対悪』であると断言できません。根本的な所では『悪』と理解してますが。
結局は自分への甘えです。
昨日書いたアレなんですが。。

ほぼ、完膚なきまでに読みが外れてたかも?

日朝対話 「時間稼ぎ」鮮明 北ペースにはまる恐れ
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/seiji/20051105/m20051105006.html
(gooニュース 11/5)

こんなニュースが出てたみたいです。

その記事中のコメント、
 日本側は「拉致問題が最優先の課題」(斎木昭隆・外務省アジア大洋州局審議官)として、打開の道を模索していく方針だ。しかし、交渉筋は四日夜、「拉致事件が解決しなくても国交正常化交渉には入れるのか」との記者団の質問に対し、「それはその通りだ。懸案が解決しなければ、国交正常化交渉を行わないという方針ではない」と明言した。

何やらこれは、日本が『国交正常化』したがってるみたいな言い方だ。

昨日の考察が、何かアホらしくなる。。

対話再開にこぎ着けたことは、率直に大きく評価します。
で、日本政府の水面下の働きに限って言うと、「上手いなぁー」、と思うことはしばしばある。

ありますけど・・・・まぁ、まぁ。
水面上の働きは・・・・・・(以下略)
長文です。ご注意を。


・・・・北朝鮮問題に関する深い考察・・・・

日朝対話、拉致問題など進展なく終了
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051104-00000015-yom-pol
(yomiuri online 11/4)

日朝交渉、協議継続で合意 拉致問題は進展得られず
http://www.asahi.com/politics/update/1104/005.html
(asahi.com 11/4)

今までの対話と異なる点は、北朝鮮が『過去の清算』と言う文句を持ち出してきたことだ。

これには、大きな意味があると考える。

北朝鮮・韓国・中国(特定アジア)の言う『過去』とは、ほぼ事実ではない事が証明されつつあるのだが、それはまだ、どちらかと言うと表沙汰にはなっていない。
マスコミ(一部)のフィルターが抜かりなく施されている訳だが、ここで何の脈絡もなく、

「清算するような『過去』は存在しません」

と表明するのは、戦略的に優れているとは言えない。
現在進行形の拉致問題とは異なり、最早、既成事実として存在してしまった以上は、それを前提とした戦略が絶対的に必要だ。

現在、日本政府は、その『過去』の政府見解を改める動きを見せている。
直ぐに浸透するとは思えないが、それでも先ずは、日本の弱点、『被攻撃要素』を排除することは無駄ではない。

『被攻撃要素』が無くなりつつある現状。北朝鮮にとっては非常に思わしく無い状況だろう。
その状況に対して、どうしても楔を打ち込む必要があったのではないだろうか。

これまでの対話では、『国交正常化』を拉致問題解決の前提条件にしていた。もしくは、拉致問題自体『解決済み』だと、正面から取り組むことは無かった。

ここへきて、北朝鮮にとって『国交正常化』は最重要事項ではなくなったと言うことだろう。これは日本にとって、どちらかと言うと都合が良い話だ。『国交正常化』自体は、日本にとって何らメリットの無い話であったし、何より、北朝鮮が主導権を握り続けることができる。それが実現すれば拉致問題は、永らく解決不能となる。

逆に、『過去の清算』とは。
これは日本が主導権を握ったと見て良い。

ご存知の通り、第三次改造内閣は、特定アジアにとっては『タカ派』である人物が名を連ねる。今回の内閣布陣は、間違いなく特定アジアに圧力となり得る。
今回の日朝対話の日程が決定したのは先月24日。そして、11月2日発表だった内閣改造の、先月31日への前倒しが発表されたのは同月28日だった。

1年ぶりに日朝対話を再開した理由はなんだったのか?

北朝鮮にとって日朝対話のメリットはまるで無い。
むしろデメリットの方が大きい筈だった。

拉致問題解決の為とは言え、日本が単独で支援を行う可能性は限りなく低い。
しかし北朝鮮が、『拉致問題解決の為の支援』を提案してきた場合、日本の世論は一気に、経済制裁の発動賛成に傾く可能性が高い。
そして、今回提案された『過去の清算』というのは、”拉致問題解決の為の支援”という発想に限りなく近い。
直接的に『支援』と言う言葉を使えない立場にある北朝鮮は、今回『過去の清算』と言う文句を用いたと考えられる。

国連、WFP主導で行われる長期的支援は、工作活動を嫌ったのか、北朝鮮から既に中止要請を発している。
工作活動を心配することのない、日本の支援を取り付けられる可能性が少しでもあれば、北朝鮮にとって今回の対話は、それだけ『渡る価値のある橋』なのだろう。

『渡るしかない橋』なのかもしれない。
対話を断ることはできなかった筈だ。断れば、新内閣による経済制裁発動。確実とは言えないが、これは可能性が高かったのではないだろうか。

例えフィルターが抜かりなく施されたマスコミを介してでさえ、ここへきて受ける北朝鮮側の印象は、間違いなくトーンダウンしている。
それが演出なのかどうなのか。そこまでは観察力不足により判断しかねるが、北朝鮮は、核問題、拉致問題、様々な懸案と共に追い詰められていると、そう見るのはいささか考えすぎであろうか。

・・・・・・・・・・・・・

参考
日朝対話 来月2日軸に調整 「6カ国」は8日再開も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000001-san-pol
(産経新聞 10/25)

<内閣改造>31日午後に実施 小泉首相方針
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051028-00000059-mai-pol
(毎日新聞 10/28)

悲劇的な喜劇

2005年11月3日 日常
太宰治、『人間失格』『斜陽』、読むことができました。

以下、読書感想文。みたいな感じです。

非情に簡潔ですけど。。

・・・・ネタばれを含む話・・・・

『人間失格』。
太宰治の集大成にして、最後の作品。
彼の投影ともいえる、葉蔵の手記。

道化、罪の対義語。
印象的な言葉は、上の2つ。

幼い頃から周囲の人達に向け、本心を隠しながらお道化て(おどけて)みせていた。
葉蔵の本心は道化ではない。自分は全ての人を騙している。しかし、騙すつもりはない。その矛盾した心が、彼に罪悪感を与えた。

罪の対義語。
彼はそれを見つけ出せなかった。
見つけ出せば、何かが変わると思っていた。
そうもがき続け、結局、彼は異端となった。
いや、そうではない。始めから異端だった。
”人間、失格”。

悲劇でもあり、喜劇でもある。
彼にとっては、紛れも無い、喜劇であった。

『斜陽』
貴族の転落ぶりが、心地よい程に、美しく、醜く描かれる。
私(主人公)と弟との人生は、正しく対比だった。

革命。恋。

その2つは、似ていないようでも、似ていたらしい。
貴族からの転落。人生からの転落。蛇に睨まれた蛙。

弟は恋を選ばず、死した。
死は、果たして革命であったのだろうか?
全ての枠組みから脱するために、弟が選んだのは、死であった。

革命。恋。

私は恋を選び、生き延びた。
何としても、例え転落人生を送ろうとも、生き延びなければならない。
”戦闘、開始”。

・・・・・・・・・・・・
・・・・ちょっと大袈裟な話(創作)・・・・

信号機は、あれはどう見ても目玉に見えて仕方ない。

「アイツは何を考えているんだ?」昔っからあれを見るたびに、そう思っていた。
ホントに何を考えてるのか解らないような目をしているものもあれば、微妙に上目を細め、寂しそうな、悲しそうな、目をしている奴もある。

本当に下らない。

『物』とは何だろうか、『人』とはなんだろうか。
『人』も『物』も、同じものなのかもしれない。
むしろ、『物』の方が、大切なのかもしれない。
物言わぬ『物』が、ちょうど良い語り相手だ。

物言わぬ『物』に、自分を代弁させる。
何を言わせたい?
物言わぬ『物』に、自分を投影する。
何故何も言わない?

何かを訴えかけようとしている訳でもなく、ただ淡々と光を放つあの目からは感じられた、一種の安心感というものを、『人』の目から感じ取ることができない。

決定的に、何かが壊れている。

・・・・・・・・・・・・・・

小難しい自己考察

2005年10月31日 日常
学校にて、javaの宿題を片付けながら、javaの上達法について考えた。

と言っても、考えたと言っても、所詮は”反復訓練しかない”という帰結に辿り着く可能性が高かった。
のだけれども、やっぱ自分の性格からして、先に『概念』を完全に理解してしまわないと、どうも、その枠組みに従順ならざる傾向があるらしい。

もやもやもやもやした気持ちを抱えたままで、例え”反復訓練”を1億回繰り返したところで、自分にはまるで効果がない気がした。

冷徹なる自己分析(?)を実施すると、自分は、どうにも、物事の『論理化』は苦手じゃない。けれども、『定式化』が圧倒的に苦手だ。

数字と記号の羅列によって『この世の摂理』を判定させるなんぞ、そういえば今まで一度も考えたことがなかったかもしれない。
むしろ、考えようとしなかっただけかもしれない。
むしろ、考えるだけの能力が無かっただけなのだろう。

そう気付く。

だったら、javaの一語一語の定義を全て理解するほかないのだろう。
とちらにせよ。単純だった。

これ程難しいことはない。

そう気付く。。
10月30日付 朝日新聞の報道「北側国交相留任の方向 第三次小泉改造内閣31日発足へ」へのコメント:

明日ですか。

と言いますか、ちょっと前は11月2日発表とか言ってたのに、急に11月1日発表になっちゃって、更に前倒しされて10月31日になっちゃった訳ですか!?

早めた理由は何だろうか?
と考えてみると、やっぱり、『決まっているから』だと思う。

決まってるのに発表しないとか、それはそれで『改革を止めるな!』って言う、キャッチフレーズに矛盾することだし。

やっぱ、順当に考えると『あの人』が入ってくるんだろうか。
意外や意外で、結構若い『あの人』も大穴でくるんじゃないだろうか。
意外や意外や意外で、意外にも全員保留だったり。。

それだと、多分ずっこけます。寧ろ、ずっこけさせてください。
グーグル、電卓機能強化で「人生、宇宙、すべての答え」にも回答
http://japan.internet.com/busnews/20051028/2.html
(japan internet.com 10/28)

「人生、宇宙、すべての答え」

なんじゃそりゃぁ。

そんな、果てしない、宇宙の真理、この世の摂理、人生の条理など、いつの間に導き出されたと言うのか。
やっぱ世の流転なんて、自分の知り得る範疇外にして、自分の関わることのできる限界点を既に超越しているんだろうな。


と大袈裟に思ってたら、ただのいたずらっ気らしかった。
元ネタはSF小説『銀河ヒッチハイク・ガイド」に出てくる『答え』らしい。
まぁ、知らない。

けど読んでみたい。(と少しだけ考えてやっぱり遠慮する。)

けど、ここまでスバッと断言してたら、それはそれで気持ちがいい。
・・・・ちょうどよくない話〜自問自答〜・・・・

”ちょうどよいもの”

その定義は紛れもなく、個々人の主観に委ねられる。

「違うとは思うけれど、そうと言い切れないし、言いきれる自信は当たり前の如く持ち合わせていないし・・・」
自分の場合はこんな状態だ。単純に言ってしまえば、
『よく解らない』とか、『中間地点』とか言える。

そんな曖昧模糊な感情を、いつまでも自分の頭の中に飼っておくのはとても困難だ。ましてや飼いならすなんて、そんな共存関係などまっぴら結びたくない。

世の中を二元論で判断することは簡単な様で、とても難しい。必ず、分類しようの無い、分類されるべくもない、その中間が存在してしまう。
だからこそ、何らかの『中間地点』を設定し、そこに論理帰結を置かざるを得ない。

中間に身を置くのは、安定を得る為には仕方の無いことなのかもしれない。しかし、それも度を過ぎると、それはそれで考え物だ。

進化もなければ退化も無い。
発展もなければ衰退も無い。

そういう状態と似ている。

・・・・・・・・・・・・・・
最近風邪を引いてしまって、どうも強い光を見ると、くしゃみを催したり、目がしぼしぼしたりする。(恐らく)一般的であろう例えを用いて説明するならば、熟睡してたのに急に電気を「バチッッ」と点けて起こされた時みたいな。
そんな感じです。。

こういう時に限って、レポートが出てたりするんです。
しぼしぼする目を、やや酷使しつつ、レポートを仕上げました。。



(続くかも)
Gデザイン大賞 テルモの世界一細いインスリン用注射針
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051026-00000006-maip-bus_all
(毎日新聞 10/26)

痛く無い注射って。近代人が元来抱き続けてきた夢が、遂に実現したって、感じですか。。

でもまだ痛みは完全に排除された訳でも無いみたいで、厳密に言うと”蚊に刺された程度”らしい。まぁ、その程度なら殆どの人は全く気にはならないだろうけど。

しかも針付き、ってのが凄いと思う。

ちょこっと前に、『針無し』の注射器が日本でも発売されたらしいけど、これも痛みを完全に無くすレベルでは無いらしい。
そして、1本8まんえん。。
使い捨てでは無い、針が折れて体内に残る心配が無い、という利点もあるので、一概には比べられないけど。

最新の無痛注射器は2,100円/70本。
これだけ安ければ結構すんなりと学校にも普及しそう。

まぁ、泣く奴は例え”蚊に刺された程度”の痛みでも泣くだろうけど。
      

最大限の誇大表現

2005年10月24日 日常
・・・・恐らく自分に向けた話・・・・

失敗しても良い。
成功したら尚のこと良い。

どちらにせよ。

これから彼がしようとしていることは、そんな単純なことだ。

全てが、彼の行動に委ねられ、そして、少しだけ他人の決断に委ねられる。
彼の決断など、知ったことではない。
他人の行動など、信用に値しない。

唯一、彼がやってはいけないこと、それは、

何もしないこと。

・・・・・・・・・・・・・・
やや長文です。



・・・・当たり前だけど不自然な話(主観)・・・・

恐らく。

日本の学校(小・中・高)で実施されていた、『国語』の授業と言うものは、世間一般では有名人であるらしい、誰かの小説や論文を音読したり、または、朗読したり、そして、その作品の細部に切り入り、”語”の表す真意を探ったりと。”それ自体”は何ら変わりの無い、人間として日本人として、つまりは日本人的人間として生きる為には、避けては通れない事だったということは、言うまでも無い。

”それ自体”に小言を並べるつもりは無い。
『言』や『事』の、本質や真相を学ぶ、或いは、知ろうと思うのは至極当然なものだ。

しかしながら、そこから先がどうも不自然と言うか、『国語』という名の本質にそぐっていなかったのではないかと、少なからず、感じた。

”それ自体”の後に行われる、”教師と呼ばれる『人』による思想のチェック”。
または、”教範を基にした思想のチェック”。

『世間一般』では無い。つまりは、日本人的人間として適確で無いと判断されれば、そこに明確な理由などは無い。単純に『間違い』だ、と、成す術もなく、一方的に烙印される。

だけれども、生物の真理として、『思想』や『思考』というものは100いれば100通り、、とまでは言えない(言う事ができない)が、妥当に考えると100いれば90通りのそれが存在する。90という数字に深い理由は無いが。。

90通りの『思想』は正しいとも、間違いとも決定できない。決定されるべくも無い。だけれども、それは、事前に用意された『解答』によって決定されてしまう。正に、成す術もなく。

『思想』のチェック。
しかしその行為も間違っているとは、決定できない(されるべくも無い)。
日本人的人間として、そして人間として、この『世界』で生きてゆく為には、それを行う方が、尺度というものを計り易いのは、全く事実だろう。更には、人間として踏み外してはならない『限界』が存在することも、当然のことながら、その過程の中で明らかにさせなければならないこと、これも事実だ。

だけれど、少なくとも、『国語』という名に『思想』という本質は、多分には含まれていない筈だ。

ここからは小言だが、『国語』と呼ばれる授業と言う枠組みに於いて、意思とは関係なく、知らない間に、『思想』というまた別の授業を受けている。
これが、『国語』と言う授業を不自然に感じさせた、最も大きな理由だ。

国語、数学、理科、社会、音楽、工作、体育・・・・、言い出すとキリが無いのだが・・・。これに『思想』は、はっきりと区別させるべきなのだと思う。
そこに『思想』が絡んでくると、碌(ロク)な事がない。

だからこそ、区別させた『思想』の行き場所として、90通りもの『思想』『思考』を交錯させる、独立した場が、どこかに、いかにも必要だ。

・・・・・・・・・・・・・
報道の自由度、北朝鮮が4年連続最下位
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051022-00000104-yom-int
(読売新聞 10/22)

国境なき記者団
http://www.rsf.org/rubrique.php3?id_rubrique=554

日本と、その愉快な極東の仲間達の報道の自由は、どうのようになっているかというと・・・・

日本:37位
韓国:34位
中国:159位
北朝鮮:最下位

中国と北朝鮮は普通に最低水準なのは、予測通りというのか。。しかし、日本が韓国よりも下の順位にいるのには、少しばかり驚く。

しかし、まぁ当然の結果かもしれない。

『言論』の自由と言う観点からみると、日本のほうが断然自由度が高いのだろうが、『報道』の自由と言う観点からみると、洒落にも、日本の報道は優れているとはいえないのは当然。
何か重要ではない、些細な事を忘れているような気が、常にする。
重要で無いのならそれで良いじゃん。
とも言われそうですけど、どうも、『覚えておきたい事』を覚えておくことが得意じゃない。
それが『何だったか』を思い出すことができない。

完全、綺麗さっぱり忘れほうけているわけじゃないから、だから常にもやもやもやもやした気持ちが残る。

これがどう日常生活に影響を及ぼすのかと言うと、全く影響を及ぼさない。
まぁ、つまりは、全くと言って良いほど些細な事なんだろうけど、、だけれど、常に気になる事が存在するってのは、どうも、自己の精神状況を不安定にさせる要素としては大きすぎる。

そんな時は大概、余計な事に考えふけってしまう。

例えば、自分は生き急いでいるんじゃないか、、とか。

まぁ、余りにも自意識過剰な分析ではあります。。。

ただ、若い時間は湯水の如く無駄遣いしたと、はっきり自覚しているから、、やっぱり自意識過剰なまでに生き急いだ方がいいんかな?

と、些細な事を思い出せない腹いせに、ここまで考えふけってしまうということ自体、精神不安定状況にあるということを物語っているのだと思います。


(そして明日になったら『思い出せない』、かも・・・。)




自分にとっての『些細な事』の定義は、他の誰かからしてみれば、それは『大きな事』なのかもしれない。

でも、恐らく自分は、常識の範囲内で『些細な事』の定義をしています。

本当に、誰も気にしないほど『些細な事』です。
自分にとってはちょうど良い『些細な事』です。

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