『心』に踏み入ることは誰もできない
2005年10月17日 時事ニュース
10月17日付 朝日新聞の報道「小泉首相、17日午前に靖国神社を参拝へ」へのコメント:
何かを拝むというのは、日本人ではなくて、例えば韓国人であっても、アメリカ人であっても、ケニア人であっても、言葉は違えども同じように、『人智の届かない何か』にすがる、という行為は存在すると思う。
それには、『過去の過ち』などは全く関係しない。
それはそれで論じればよいことであって、長い年月で培われてきた『心』まで踏み入って良いものだとは思わない。
最早『確立』してしまった『心』に対してあーだこーだと、注文をつけて有り得もしない方向に進路を変えようとする。
それは不可能だと言うことに気づくべきだ(気づいた上でやっているのかもしれないが)。
正にキチガイだと言うしかない。
何かを拝むというのは、日本人ではなくて、例えば韓国人であっても、アメリカ人であっても、ケニア人であっても、言葉は違えども同じように、『人智の届かない何か』にすがる、という行為は存在すると思う。
それには、『過去の過ち』などは全く関係しない。
それはそれで論じればよいことであって、長い年月で培われてきた『心』まで踏み入って良いものだとは思わない。
最早『確立』してしまった『心』に対してあーだこーだと、注文をつけて有り得もしない方向に進路を変えようとする。
それは不可能だと言うことに気づくべきだ(気づいた上でやっているのかもしれないが)。
正にキチガイだと言うしかない。
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