・・・・正直な話〜本当は書く必要などない〜・・・・
基本的に、人殺しは絶対にしてはならない事だ、と言われることが多いし、絶対的に、その通りだと言う事は間違いのだろう。
しかし彼女は、そもそも、人を殺そうとか、人を傷つけようとか、そういうことを考えて、それを意識して、結果を思考した上で、あのような”実験”を行っていたのだろうか?
恐らく、彼女は『命』とか『生命』とか『死』とか『痛み』だとか、そういう、所謂”人間的”だと定義される倫理観を、全く所持していなかった。
所持していない、と言うよりも、残念なことに結果論になってしまうが、『所持させてもらえなかった』。
『死』が何の結果なのか、その結果が何をもたらすのか、彼女には、理解する理由が無かった。
それが『善か悪か』を判断する”基”を持ち合わせていないのだから。
自分は、彼女とは絶対に”別物”だと実感できる。と同時に、しかし彼女とは絶対に”同じもの”では無い、とは断言できない。
根本的に人間は、別であり同じ部分も持っている。
いやむしろ、「同じであり異なる部分を持っている」
だれでも、潜在的な殺人者であったし、誰でも現実の上で殺人者に成り得る。
そして、同じであるが故に、その『足りない心』は結局誰にも理解できない。理解されることを望んでいたとも思わない。
それが今回、たまたま彼女だっただけであって、何故自分でなかったのか、何故他の誰かでなかったのか、何故彼女である必要があったのか。
全ては、また、残念なことに、最初から決まってしまっていたんだと思う。
人間の進むべき道の、分岐点。そんなものなど最初から無いのかもしれない。
『運命は自分で切り開くものだ』
この言葉を自分に言わせればそれは、
「最初から決まった運命の道すら探すことのできない人間には、はなから生きる価値など無い」
ありふれない、答えになる。
彼女を肯定する訳では絶対無い。でもやっぱり肯定しているようにしか見えないけど、それでも書くと、彼女は『運命』を必至で受け入れようと、世間一般から過剰なまでに的を外れた『努力』を、絶えず続けてしまったのだと思う。それこそ、運命の道にすっぽりとはまり込んで。
彼女が不幸であるとは言えない。自分が幸福であるとも、言えない。他の誰かは、どちらでもないのかもしれない。
しかし。
自分は、恵まれすぎているのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・
劇物実験?7月から異常あった…静岡母親毒殺未遂事件
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200511/sha2005110502.html
(サンケイスポーツ 11/4)
罪とか罰とか、そういう感情的かつ法律的な話は完璧に無視して、機械的に、多分本心を書きました。
でも勿論自分がこれを断言できるような人間である自信などなくて、やっぱりこれも間違いの中の一つなんでしょう。
最後に一言だけ付け加えておくと、自分はまだ、『人殺し』、という行為に対して、どうしてもそれを『絶対悪』であると断言できません。根本的な所では『悪』と理解してますが。
結局は自分への甘えです。
基本的に、人殺しは絶対にしてはならない事だ、と言われることが多いし、絶対的に、その通りだと言う事は間違いのだろう。
しかし彼女は、そもそも、人を殺そうとか、人を傷つけようとか、そういうことを考えて、それを意識して、結果を思考した上で、あのような”実験”を行っていたのだろうか?
恐らく、彼女は『命』とか『生命』とか『死』とか『痛み』だとか、そういう、所謂”人間的”だと定義される倫理観を、全く所持していなかった。
所持していない、と言うよりも、残念なことに結果論になってしまうが、『所持させてもらえなかった』。
『死』が何の結果なのか、その結果が何をもたらすのか、彼女には、理解する理由が無かった。
それが『善か悪か』を判断する”基”を持ち合わせていないのだから。
自分は、彼女とは絶対に”別物”だと実感できる。と同時に、しかし彼女とは絶対に”同じもの”では無い、とは断言できない。
根本的に人間は、別であり同じ部分も持っている。
いやむしろ、「同じであり異なる部分を持っている」
だれでも、潜在的な殺人者であったし、誰でも現実の上で殺人者に成り得る。
そして、同じであるが故に、その『足りない心』は結局誰にも理解できない。理解されることを望んでいたとも思わない。
それが今回、たまたま彼女だっただけであって、何故自分でなかったのか、何故他の誰かでなかったのか、何故彼女である必要があったのか。
全ては、また、残念なことに、最初から決まってしまっていたんだと思う。
人間の進むべき道の、分岐点。そんなものなど最初から無いのかもしれない。
『運命は自分で切り開くものだ』
この言葉を自分に言わせればそれは、
「最初から決まった運命の道すら探すことのできない人間には、はなから生きる価値など無い」
ありふれない、答えになる。
彼女を肯定する訳では絶対無い。でもやっぱり肯定しているようにしか見えないけど、それでも書くと、彼女は『運命』を必至で受け入れようと、世間一般から過剰なまでに的を外れた『努力』を、絶えず続けてしまったのだと思う。それこそ、運命の道にすっぽりとはまり込んで。
彼女が不幸であるとは言えない。自分が幸福であるとも、言えない。他の誰かは、どちらでもないのかもしれない。
しかし。
自分は、恵まれすぎているのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・
劇物実験?7月から異常あった…静岡母親毒殺未遂事件
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200511/sha2005110502.html
(サンケイスポーツ 11/4)
罪とか罰とか、そういう感情的かつ法律的な話は完璧に無視して、機械的に、多分本心を書きました。
でも勿論自分がこれを断言できるような人間である自信などなくて、やっぱりこれも間違いの中の一つなんでしょう。
最後に一言だけ付け加えておくと、自分はまだ、『人殺し』、という行為に対して、どうしてもそれを『絶対悪』であると断言できません。根本的な所では『悪』と理解してますが。
結局は自分への甘えです。
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